ザ・クラック・スペシャルエール物語

~それは、二人の男の出会いから始まった~

 

これは、今ではすっかりおなじみ通称「ことちゃんエール」こと「ザ・クラック・スペシャルエール」(以下「スペシャルエール」)ができるまでの実話である。

 

2010年9月24日、アーサーギネスの誕生日に四国初本格ローカルアイリッシュパブを高松に開店させたパブリカン(パブオーナー)は、翌年3月にはアイランド最大の祭典「セントパトリックスデイパレード」を高松一の繁華街で実現させ、「高松アイルランドフェスティバル」の初成功を収めた。

 

さらに自身の誕生月である7月には、これまた前代未聞の「移動するアイリッシュパブ」こと「アイリッシュパブトレイン」を地元の高松琴平電気鉄道株式会社(通称「ことでん」)とコラボし、大成功のうちに幕を閉じた。

 

こうして、7月に催される「世界一幸福な電車」の旅は、いつしか毎年ファンが待ち焦がれる伝説的なイベントにまで成長し定着した。

 

 

そして時は、3度目のパブトレイン。

 

パブリカンは、全国から鉄道&ビールファンが集い大人が本気で楽しめるこのイベントにふさわしい特別なオリジナルビールを造りたいと考えていた。幸いうどん県である香川県には、ビールの原料のひとつとなりうる地場小麦「さぬきの夢」がある。早速、自ら生産者にコンタクトを取り、足を運ぶ。

 

メインとする材料が決まってもビールとなるまでのハードルはまだまだ高い。

この「さぬきの夢」を託すブルワーの選定だ。

 

脳裏によぎるのは、昔、沼津港に面するベアードタップルームで飲んだ「ライジングサン」。当時勤務していたブリティッシュパブ主催のビールツアーの下見で訪れ、口にしたあのフルーティーなエールへの感動と衝撃が蘇る。まよいはなかった。すぐにコンタクトをとるも、他店のためには作らない主義だと一度は断られてしまう。

 

ところが、縁とは不思議なものだ。

 

東京のブリティッシュパブの店主が当時まだ駆け出しだったベアードビールを先駆けて仕入れていたため店主とベアード氏に個人的な繋がりがあったこと、パブリカンはそのパブのスタッフとして勤務し仕事として沼津のタップルームにも何度か足を運んだことがあるという事実を知ると、ベアード氏は一転、快諾してくれたのだ。

 

だが、本当の「願い」はこの先にあったのである。

 

当時、ベアードブルワリーには少し前に長野県のヤッホーブルーイングを退職したある男が勤務していた。

 

それが田口昇平だった。

 

パブリカンは最初から決めていた。

このビールは必ず田口氏に造ってもらう、と。

 

実はパブリカンと田口氏は数年前に一度、ヤッホーブルーイングで会っている。

 

というのも、四国初ハンドポンプで注ぐリアルエールの導入の認可をもらうため工場を訪れた際、先方側にいたのが田口氏だったのだ。以前からビール業界ではお互いに名前は知っていたが、しっかりと話をするのはこのときが初めてだった。

 

さて、話を「スペシャルエール」に戻そう。

 

パブトレインを約1ヶ月後に控えたギリギリの日程。

パブリカンはまだ小さな息子の手を引き、新幹線に飛び乗る。

 

香川の生産者から入手した「さぬきの夢」を携え、何年かぶりに沼津ベアードタップルームのドアを叩く。

 

田口氏に会うのは、長野県を訪れた時以来だ。

 

彼がヤッホーブルーイングを退職すると聞いた時、パブリカンはすぐに声をかけた。

だが、彼は独立の前にまだ学びたいことがあると返した。

 

「それなら、いつ、そして世界のどこになるかは分からないけどその時が来たら、一緒にやろう。お互いにそれまでレベルを上げておこう」と二人は語り合っていた。

そんな背景があり、ついに二人が初めてコラボするチャンスが巡ってきた。

 

この日のために何度もやりとりを重ね、すでにビールのイメージも完璧に理解してた田口氏は、レシピを完成させていた。

 

材料は揃った。

レシピもある。

あとは造るだけだ。

 

数週間後に完成し、出荷の際に田口氏の口からこぼれ出たのは、

「僕の子供をよろしくお願いします」

という言葉だった。

 

その通りだった。

このビールからは彼の息遣いが感じられる。

 

「スペシャルエール」が放つ柑橘系ホップの香りと香川県産小麦が追いかけるフルーティーな後味には、誰もが驚きのあと満面の笑みになる。

 

まるでマジックだ。

 

【THE CRAIC限定】の文字通り、特別なここでしか飲めないこのビールに、今では全国からクラフトビールファンがパブにはもちろん、BEER PUB STATION(ことでん高松築港駅)にも集う。

 

 

2015年4月、田口氏は香川県へ移住する。

 

四国、香川という場所にこだわり、ここで最高のビールを造りたいというパブリカンのオファーに心を決めたのだ。

 

幼少期に住んだこともあるこの高松市で将来への展望はどれだけ広がっていたことだろう。

未知の可能性を秘めた彼はこの高松という小さなコミュニティーの中で瞬く間に脚光を浴び、人望も厚かった。

 

順風な船出を誰もが信じて疑わなかった。

 

だがそれも束の間…夏も終わりに近づいた8月29日。

彼は突然帰らぬ人となってしまった。

 

 

あれから5年。

 

やっと皆に愛される「スペシャルエール」とその生みの親、田口昇平について語れるときが来た。

 

さあ、グラスを傾けよう。

「乾杯」

 

彼のクラフツマンスピリットは今も「スペシャルエール」の中に息づいている。

 

出演番組:『かがわ暮らし』のすすめ (13〜18分頃)